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人との縁を大切にして33年目、シティコンピュータの歩み

みなさん、こんにちは。雨の間の急な晴れ間に、鶯が一斉に鳴きだしました。ホーホケキョと、上手にさえずっています。4月の頃はケキョ、ケキョと短い鳴き声だったのに、いつの間に上達したのかと驚きました。この声を聴くと、そろそろ梅雨の始まりかな、と思います。

さて、5月22日、シティコンピュータは創業記念日を迎えました。1989年、シティコンピュータは和歌山県でBPOのデータ入力を行う会社として創業しました。従業員10名からのスタートでした。

今回は、創業記念日を前に、シティコンピュータを興した会長へのインタビューを行い、創業時からの思いやシティコンピュータの軌跡について聞いたものをまとめました。

創業のきっかけとなった人の縁

シティコンピュータ創業のきっかけになったのは、会長が以前勤めていた会社を退職する際、付き合いのあった方に、起業をするつもりだと話をしていたことから始まります。起業についてはまだ何も決まっていなかったため、とりあえず他の会社で働いていたところ、その方から電話がかかってきて、「いつ事業を始めるのか?」と聞かれ、とっさに「5月ごろには…」と答えたのが、大きな後押しになったそうです。

起業をするといっても、場所も人も機械もなく、さらにデータ入力は、専門の技術が必要ですので、すぐに雇ってすぐにできるというわけではありません。そこで会長の持つ「縁」が力を発揮します。以前の会社で働いていたキーパンチャーの方に、起業をすることを伝えると、複数の方が一緒に働きたいと言ってくださり、10名からのスタートとなったのです。

専用の入力機器などの機材は、(創業当初は当たり前ですが)実績も何もない会社だったため、調達に苦労したそうです。後押しをしてくださった方が、起業したら連絡をするようにと言っていたため、登記が済んでいない時期から連絡をすると、仕事を発注してくれ、その後もずっとお世話になっているそうです。

このような経緯から、シティコンピュータは創業日(5/22)と創立日(6/16)が異なります。周囲の方とのつながりの中で、後押しをされ、起業を行うに至った様子が目に浮かびました。人の縁に恵まれて生まれた会社、それがシティコンピュータなのだと思います。

和歌山という地方でも

データ入力の顧客を増やしていく中で大きな障壁となるのが、データ入力を行うときに元となる原票の輸送です。データ入力は原票を見て入力を行うため、宅配便で原票を運ばなければならないのですが、和歌山という土地柄、輸送にどうしても数日かかります。会長はその時間がどうしても無駄だと考えていたそうです。

そんな時に起こったのが、スキャニング技術の発達です。原票をスキャンしたデータを入力に使用すれば、インターネットを介して送受信することができます。配送日数が必要なく、どこでも仕事ができるようになり、都市部も賃金の安い、地方の和歌山で業務を行っていることがメリットにもなりました。

しかし、人員の確保という面では、和歌山では雇用に限界があり、仕事を手伝って欲しいと顧客から連絡があったものの、聞いてみると会社のキャパシティを超えている件数ということもありました。シティコンピュータとして出来る件数を伝えたのですが、それでは足りず、しかも一社で完結して欲しいと言われてしまいました。会長は対応できない事が悔しく、いつかは「それだけでの件数でいいのですか」と顧客に言えるくらいの人数を確保したいと思っていました。

海外への進出

会長は、東京でも仕事がしたいと考えるようになりました。しかし、現状では東京で勝負するには武器が足らないと感じたそうです。当時の一番の問題点は、人員が集まらず、募集をかけても選べるほどの応募が無いという点でした。少ない人数から選ぶのでは無く、沢山の中から良い人材を選ぶ事をしたい、我慢して適性に合わない人を採用するのでは無く適性をクリアした人を選ぶ事を考えていきたいと考えた会長は、その為にはどうすれば良いかを考えました。その結果、人を集められないのであれば集められるところに行こう、国内がダメなら海外へと考え、フィリピンへの進出を行いました。

当時は漢字が読めるからという理由で、データ入力会社は中国への進出が一般的でしたが、同じ場所に進出しても、他の企業との競争は変わらず起こります。そんな時会長が思い出したのが、父親から聞かされたことです。昔、柿がとても人気で、たくさんの農家が柿を作ったが、作る人が多すぎて値崩れしてしまい、皆柿の木を切って、他のものを植えた。そんな中、新たにまた柿を植えた農家が1軒だけあり、その時は今から柿なんて…と周囲から馬鹿にされたが、柿が収穫できるようになった頃には、周辺に柿を作っている農家はなく、先見の明があると言われるようになったという話です。

漢字に馴染みのないフィリピンの方も、訓練をするとある程度カナは打てるようになりますし、数字やアルファベットはもとから読むことができます。漢字をフィリピンで賄うことが難しければ、日本で作業すれば良いのです。また、フィリピンは英語を使用する方が多い国です。今後、そういった点も利点になると考え、中国ではなく、進出先に気候も温暖で、人々の笑顔が素敵なフィリピンを選んだのです。結果、中国に進出した同業者で上手くいったところは少ないですが、シティコンピュータは、フィリピンで現在も事業を継続しています。会長は、周囲の方から進出時に思い描いていた通り、「先見の明がある」という言葉を多くいただいたそうです。

また、フィリピンでも、ISO9001 ※QMS(クオリティマネージメントシステム)とISO27001 ※ISMS(情報セキュリティマネージメントシステム)を取得しています。アメリカからフィリピンに視察に来られた方によると、マニラで両方を取得しているのはシティコンピュータを含めて2社とのことで、シティコンピュータの社名は今、フィリピン国内にすっかり浸透しています。

フィリピンで行う安価なデータ入力を武器に東京進出

フィリピンでは、働きたいと応募してくる方も多く、優秀な人材を獲得することができます。例えば、追加で30名募集を出すと、2500名程度の応募があり、その中から、適性に合った人を採用することが出来ます。また、2交代制で24時間稼働することにより、人件費と電気代はかかりますが、機械の台数やオフィスの広さは半分になり、コストを大幅にカットすることができました。

フィリピンでのキーパンチャーの教育は当初難航しましたが、日本からベテランのキーパンチャーに先生として来てもらい、要求される文字数(30分以内に9,000タッチ)を入力することが可能であることを実践して見せると、無理と言い出すこともなくなり、今では日本以上に凄腕のスーパースターが誕生しているそうです。また、フィリピン進出当時からシティコンピュータでずっと勤務している方も居るそうで、フィリピンでは珍しいことのようです。

こうして育ったキーパンチャーさんがフィリピンで入力を行うことにより、安価でかつクオリティを維持したデータ入力を武器に、シティコンピュータは大阪や東京へ進出をすることとなりました。最初は、知り合いのオフィスの片隅に机一つだけを借り、経費をほとんどかけずに1人の営業マンのみでスタートしたそうですが、徐々にご依頼いただけるようになりました。

さらに拠点を広げる

その後、フィリピンに何かあった時のためにもと、新たにバングラデシュの拠点を設立することになりました。バングラデシュを選んだのは、インドの隣の国だということが大きいです。インドは成長が著しい国で、GDPが上がってくれば必ず国外に仕事を出すことになります。そうなった時にバングラデシュからアプローチができるという事で選びました。現地の商工会議所の協力を得て、大勢の方が採用試験に臨んでくださったそうで、なんと、会長の訪問3回でバングラデシュ第二の都市チッタゴンに拠点を立ち上げることができました。

成績優秀だったリーダーさん5名ほどは、フィリピンで半年間、データ入力の研修を受け、それと同時期にバングラデシュでは、40-50人の新入社員が、フィリピンから派遣された先生のもと、データ入力の訓練を受けました。リーダーさん達をフィリピンに派遣する手続きはかなり難航し、必ずバングラデシュに帰ってくるからと会長が保証をしてようやく出国できたと言います。こうした努力の甲斐あり、採用試験から半年後、バングラデシュ拠点は設立されました。

フィリピンでもバングラデシュでも、データ入力の業務に必要な日本的な考え方を学んでもらいます。良い関係を築くことができているので、そうして学び、シティコンピュータを巣立っていった方々とも、交流が続きます。新しく移住した先から、その国にシティコンピュータの拠点ができたら働きたいと連絡をくれる方も居るそうです。こうして、人のつながりが増えていくことによって、新しい海外拠点が今後も増えていくかもしれません。

また、日本国内でも、鳥取をはじめ、静岡など、複数の場所に拠点を設けていきます。これは、地震などの大規模災害が起こった時にも業務を止めずに納品を行うことができるように、また、被害の少なかったところから応援に行けるようにとの意図で設立されています。最初に鳥取を選んだのはいくつか理由がありますが、地震が少ないこと、高速道路が開通したことが挙げられます。

また、近年重要な要素となった個人情報保護の観点からも、複数の拠点で作業が分担できることはメリットがあります。いくら分けて作業させているといっても、同じ事業所内で作業を行うと、最悪ドッキングすることができますが、それぞれ、住所、名前、電話番号などを分割して各拠点で作業すれば、突き合わせることができません。このようなことから、現在の複数の拠点のある体制が整えられました。今後も、情勢に合わせて変化していくことと思います。

後記

開業当初、世界から愛される会社になるという思いを込めて、地球をデザインに取り入れたロゴを制作したそうです。人との縁を大切にし続けることによって、徐々に広がり、海外に拠点を持つまでになりました。

今後も、シティコンピュータで働く方々が協力して真面目に仕事に取組み、業務を行っていくことにより、さらにシティコンピュータが発展し、さらに世界に雇用を生み出すことになる。さらに、人種や性別にとらわれず、色々な人をシティコンピュータの仲間として迎え入れ、さらに発展していく。そんな関わる方全てが利益を得る循環が続くように、シティコンピュータも、中で働く自分たちも発展していきたいと感じました。

会長の人との縁を大切にという思いを感じると同時に、関わる人皆に良いことがある働き方を考えるきっかけとなったインタビューでした。

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