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シティコンピュータの東京本社は江東区、東陽町駅近くです

みなさんこんにちは。日差しが暖かく、上着が必要ない日も増えてきました。木々も、少し見ないでいるうちに、青々としてきており、季節の移ろいはあっという間に感じます。昨年に引き続き、今年も室内で過ごすことが多いので、より一層早く思えるのかもしれません。一人や家族での散歩は問題ないそうですので、人の少ない時に公園などを歩くようにしたいです。

さて、業務や社員の紹介から離れて、本日は、シティコンピュータの拠点についてご紹介します。

シティコンピュータは、国内9拠点、海外3拠点、合わせて12拠点を持っています。日本国内でも、北は北海道、南は九州までありますので、それぞれ周辺の様子は異なります。海外拠点となれば、日本とは全く異なる文化…休日まで異なるので、連絡をしたら「今日、お休みなんですか!」なんてこともしばしば。

そこで、ブログでは、各拠点の周辺について、ご紹介していこうと思っています。今回は、東京本社です。

江東区ってどんなところ?

さて、シティコンピュータ株式会社の東京本社は、東京都江東(こうとう)区にあります。東陽町(とうようちょう)という東京メトロ東西線の駅が最寄り駅で、東陽町周辺はオフィスが多くありつつも住宅街が広がっているという、職と住が混在する街です。

都心のオフィス街に短時間で行けることから、住宅街として人気が高く、マンションや住宅、生活に便利な施設が多く揃っています。また、東京都の東側に住む免許を持つ都民であれば、多くの方が利用した経験があるだろう、江東運転免許試験場(東京都にある3か所の試験場のうちの1つ)をはじめとする公の施設もたくさんあります。その一方で、駅の南側には、比較的新しく建てられたオフィスビルも多いのです!

江東区には、埋め立てて土地を広げてきた場所柄、運河が多くあります。歴史的には、そういった水辺の土地を購入した、江戸時代の大名・明治時代の華族や富豪が、水を庭に引き込んで池や小川に見立て、美しい景色を眺められるお屋敷を造ることが流行だったらしく、今でも有名な庭園として残っている場所があります。運河沿いに木々が植えられている場所も多く、意外にも緑を感じられる場所がたくさんあります。

東京本社を東陽町に置いた理由

シティコンピュータが東陽町に東京本社を置いたのは、そんな東陽町の立地が関係しています。

シティコンピュータの主力事業の一つに、熟練のキーパンチャーさんによるデータ入力業務があります。各拠点にデータ入力ができる設備と人員があり、それぞれの拠点で、データ入力を行っています。データ入力の求人募集などはよくあり、キーボード操作ができることが条件というものも見ますが、データ入力の専門業者の場合、専用のコードを用いた入力で作業が行われています。この技術は短期間で身に着けられるわけではないため、熟練したキーパンチャーさんは貴重かつ重要な戦力です。そんな方々が出勤しやすいように、また家庭と仕事を両立しやすいように、比較的住宅街に近いエリアにシティコンピュータは拠点を設けているのです。

普段東京本社で働いている社員に、周辺でお勧めの場所を尋ねたところ、詳細なレポートが届いたので、そのまま紹介したいと思います。

Oから見た江東区の魅力

皆さん、こんにちは 販売促進 兼・海外事業部のOです。

4月は異動の時期、私もこれまでの販売促進の業務に加え、海外事業部の業務を兼任することになりました。現在、研修中のため。海外事業の取り組みについては別のブログでご紹介できたらと思います。

渋沢栄一ゆかりの屋敷

現在、NHKでは大河ドラマ「青天を衝け」が放送されています。主人公は今の埼玉県深谷市出身の渋沢栄一。ご存じの通りあまたの企業の立ち上げに関わり、日本の産業・経済の基盤を作り上げました。シティコンピュータも加盟している「商工会議所」も渋沢栄一が立ち上げ、初代会頭を務めました。

東京都北区では渋沢栄一の飛鳥山屋敷跡地が現在注目されていますが、実は江東区にも、彼が36歳~48歳の頃に住んでいた屋敷(現住所:永代2-37)があります。渋沢栄一は、この屋敷を拠点に日本の近代化に努めていました。そしてここの屋敷では興味深いつながりを見ることができます。屋敷跡地には脇に一本運河が南北に延びているのですが、北側は清澄庭園につながっています。そう当時は渋沢のライバルでもあり、協力者でもあった岩崎弥太郎の屋敷があった場所です。

ある時、岩崎弥太郎は渋沢栄一を舟遊びに誘い、日本経済の独占に向けた連携を提案、渋沢はこれを断ったという逸話があります。舟遊びが行われたのはこの運河ではなく、大川端、現在の隅田川で、岩崎弥太郎が提案を行ったのは、向島の料亭だといわれています。

しかし、私はこう思います。「もしかしたらこの運河でも同じような出来事が起こり得たのでは…、」と。

思いのほか、日本の経済、明治期の国づくりの舞台の中心は江東区が舞台であったかもしれません。渋沢栄一の跡地から清澄庭園まで運河沿いに歩道もありますので、当時の二人が船の中で日本経済の将来像を議論している様子を思い浮かべながら歩くのもまた一興かもしれません。

以上、大河に決まってから、すっかり渋沢栄一のファンになっているOより、江東区のおすすめの場所の紹介でした。

江東区にある渋沢栄一の軌跡

渋沢栄一宅跡の横、渋沢が第一銀行を興した場所には、今も第一銀行を継承したみずほ銀行深川支店があります。また、渋沢栄一宅は渋沢が兜町に移り住んだ後、別邸として使用され、その後、澁澤倉庫部(後の澁澤倉庫株式会社)が創業されました。現在は、澁澤の名を冠したビルが建っています。歴史の移り変わりを感じます。

渋沢栄一が興した、澁澤倉庫株式会社の守護神であった福住稲荷神社も周辺にありますので、探してみてください。子狐を抱えた神狐像が素敵な神社です。あちこちに、澁澤倉庫株式会社と刻まれた奉納された力石などがあり、社員から信仰を集めていたことが分かります。この神社の空間だけは当時のままなのかもしれない、と思うと感慨深いですね。

ブログ担当Yのまとめ

シティコンピュータも、時代に合わせて変化しつつも、ずっとお客様に愛される会社として残っていったら良いなと思いつつ、東京本社のある東陽町・江東区のご紹介をさせていただきました。今後も、シティコンピュータの拠点がある場所をご紹介していけたらと思います。

関連リンク

・ブログ記事:4月1日、東北事業所で入社式が行われました!
・ブログ記事:【社員参加企画】シティの窓辺から~担当O編~